飲酒と執筆

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ニッポンの恐竜 (集英社新書 483G)

ニッポンの恐竜 (集英社新書 483G)

暇つぶしに(→ヒマなんかい?)ざっと読みました.
東北大の地質を出た新聞屋の書いた,日本で発見された恐竜(だけではない「リュウ」)のルポ.あまり類書がないネタかと思うので,その点では貴重.
まず,「はじめに」を読んで,

第1章は,日本最古の爬虫類化石で,東洋初の貴重な発見とされながら,いまはまったくといっていいほど語られることのないイナイリュウをめぐる謎を追った.この件をこれだけの分量で扱った書籍は,本書が初めてとなる.すでに関係者の多くが亡くなっており,今後も,これ以上のものは期待できないと思われる.

なんだか,ずいぶんな自信ですね.さてまずそのイナイリュウだが(無教養な私は知りませんでした),1930年代末に新北上川岸の新たな切り割りで見つかった.地元の小学校教師がまず発見し,卒論でその地に入っていた永井浩三(後に愛媛大の先生になったはず.私の卒論地域の某層群についての論文を昔に読みましたよ.懐かしい.「だいしょうの いのるちからの,げにいわや いしのなかにも ごくらくぞある」って所です)達によって産状記載が行なわれた.そして鹿間時夫により鑑定研究がなされ,ノトサウルス類の新属新種という論文が1948年の学士院紀要に載った(論文のおおよそは戦中に準備されていた).ここまではよい.が戦後問題の化石が何処かに行ってしまい,その経緯を追うことが「これ以上のものは期待できない」第1章の主題となる.が,あれこれ書き連ねているが結局何も判らない.ちゃんちゃん,である.それは昔のことなので調べたけれど結局判らないというのは仕方ないことです.しかし,酷いのは,その後日談として語られる部分である.1970年になってその近接地域で魚竜化石が発見される.見つけた当座はイナイリュウを掘り出したかと思ったら,よく調べると魚竜であったのである.そこで最初のイナイリュウ(当然,不完全個体)も実は魚竜でなかったのではないか?という疑念が生じる.

余分に思える部分があった.そこには化石が少し顔をのぞかせていたが,爬虫類の骨ではなく,シュロの葉柄のような植物片に見えた.
「その部分は,棄ててしまえばいい.イナイリュウにこんなものはない」
鹿間は,村田に岩塊を小さくするよう助言した.だが,なぜか村田はそうしなかった.(中略)
果たして研究室で岩を削り出してみると,予想していた長い首と小ぶりな頭の代わりに長く伸びた頭部(下あご)が出てきた.(中略)
化石はノトサウルスではなく,魚竜だったのだ.村田からそのことを電話で知らされた鹿間は,慌てて,仙台にすっ飛んできた.

といった記述(悪意を感じるなあ)に引き続いて「化石はないほうがよかった?」などという節を立てて,イナイリュウをノトサウルスと見立てた事が誤りであった可能性を述べたうえで,こんなことを書く訳だ.

そうなれば,同種か否かを確認できない情況,つまり,イナイリュウの化石は存在しない方が望ましい,ということにならないだろうか.

ならないよ.そんな事.
引き続いて,

実は,化石は戦争のころに「消えた」のではなく,このときに「消された」のではないか?そのように考えるのはおかしいことではない.

何の根拠もないのに,そんな事書いてしまうほうが,よっぽどおかしいよ.
さらに「化石が見当たらないということが,各方面にとって都合良かったのは確かだ」などと言う.もし筆者の考えるように,研究者は一般に,自分が間違った事があからさまになるのを防ぐのが真実追究に勝るような,面子に拘る下衆野郎だとしても,都合が良かったのは,記載した当人の面子が保たれる,というただ一点にとってだけである.タイプの標本が失われたら,いくら論文があったって,再検討不能だから科学的業績としての価値を著しく下げるわけで,何にも都合良いことなどない.そもそも化石がなくなっちゃったから,「いまはまったくといっていいほど語られることのない」ようになってしまったんでしょう.それにしても関係した研究者が故人だとはいえ,あまりに失礼な書き振りではないか?

というわけで,この超自信あるらしい,第1章を読むだけでかなり微妙な思いを抱きつつ,かといって放り出さず,一通り読みましたよ.引き続く諸章は余計な思い入れが無いぶん,普通にまとまったルポになっていると思う.
第2章は,国内産「恐竜」化石第一号の「モシリュウ」発見縁起である.まあ,足の骨の一部が見つかっただけであるが,何でも最初は大事と言うことで.第3章はもう一つの「日本初」ということで,戦前に南樺太で発見された「ニッポンリュウ」の話.これは素直に面白く読めました.驚くべきことは最初の記載が,1936年,1938年になされた後,詳細な研究が行なわれないまま化石が日本国内をあちこち彷徨い(どうやらワタシも大学学部,修士時代にニッポンリュウと所属を同じくしていたようで驚きです),最後に北大に戻ってきて,1997年に若い研究者が目をつけて研究に着手し,いろいろ修業をへて2004年に再記載論文がジャーナルに載ったということである.このように発見の経緯から,70年後の再記載までコンパクトにまとめられていて,読みごたえがある.

第4章は「エゾミカサリュウ」北海道三笠市で見つかった骨が最初は肉食恐竜と思うたのがモササウルスみたいな海生爬虫類であることが判って町おこしから,天然記念物指定から,がっくりポン,という話だが,正直どっちでもよろしいがな,と思う.第5章は主に「フタバスズキリュウ」の話.これも,1968年に発見されて,きちんとした記載論文は2006年まで出なかったということが驚き(筆頭著者はわが社の近所にお勤めらしい).それにしても,

国内産恐竜が不在の時期に発見されたフタバスズキリュウは,朗報を待ちわびてきた人々にとって,長年の”渇き”を満たすのに十分すぎるほどの成果だった.
恐竜ではなく,ひれ状の手足と長い首を持つ首長竜の仲間だが,(後略)

とは,前章で,ミカサリュウが海生爬虫類でがっかり,といいながら,フタバスズキリュウはええのんかい?ということで,恐竜,恐竜とやかましいわんでも昔の大型爬虫類というだけで,学術的価値は別として,十分に魅力はある,すなわち市井の人々に対する話題性という点では,どっちでもよろしいがな,ではないのか.
最終章は手取層群での発見から,最近の「丹波竜」に至る発見ラッシュに軽く触れて,町おこしや博物館の話を最後に付け加えているが,余りピンと来ない.
というわけで,読んでて面白い部分も,腹立たしい部分もあり,の本でした.「微妙」であるのは,時間の無駄なのでいちいち書き出さないが,文章に違和感を感じるところが多くて(たとえば上の引用の文章など,へんに大げさですよね)読んでいて苛々させられたことにもよる.が,しかし,その辺は趣味の問題かも知れません.