飲酒と執筆

あまりに執筆捗らないのでメモを残してみる

新書としては結構柄があるのでたらたら読んでいて,やっと読み終わりました.

落下傘学長奮闘記―大学法人化の現場から (中公新書ラクレ)

落下傘学長奮闘記―大学法人化の現場から (中公新書ラクレ)

研究畑一筋,それも主にお東大でお勤めであった著者が,大学法人化を挟んで岐阜大学の学長を7年つとめた経験から,国立大学の現状を具体的に,詳細に記したものであり,最近数多ある大学本の大多数とは一線を画する内容になっている,その辺に転がっている大学本は,どこかで聞いたような話を拙劣につなぎ合わせて扇情的なことを述べているものが大多数であるが,本書に記されている内容は大学「経営」当事者でしかなかなか知り得ない内情,事実経過や,的確なデータに基づくものであり,極めて説得力のあるものである.付箋を挟みながら読んでると,何十枚もついてしまいました.
プロローグで着任に至る経過が述べられた後,第1章で,着任早々に文科主宰の「学長会議」で示された「遠山プラン」による脅迫のショックが語られる.2〜4章で法人化についての説明がなされる.2章にその経緯が裏事情も含めて語られ,3章でシステムの変化,4章で予算の問題が述べられる.学長選を巡る騒動についてこれまでもしばしば報道されるが,「意向選挙」の結果を無視した選考について異を唱えても全く勝ち目がないことがよくわかった.予算については,運営交付金に関する「効率化係数」(例の毎年1%削減ね)などの全体的事情に加え,岐阜大学でどのように予算配分を工夫しているかについても説明される(ここらが,経営当事者でないとなかなか書けないところ).「効率化係数」3%などという議論もあるようでそら恐ろしいことです.
第5章では「思いつき学長」という副題で,特長を出すために行った様々な取り組みについて述べられる.人事の話(選択定年制,定年延長者の給与カットなど)は印象深い.第6章には教育改革の取り組みが様々な方面について列挙されている.どれも大学関係者ならうなずきながら読むようなところであるが,存外なかなか他業種の読者には伝わりにくいかもしれない.第7章に付属病院の危機が,また具体的,詳細に説明される.「法人化」は教育改革と言いつつも,「行政改革」でありなにより「財政改革」であることが本書では繰り返し述べられているが,それが先鋭化して現れているのが,大学病院であり,「破綻のスパイラル」に陥っている状況が詳しく説明されている,ここでもただ現状を嘆くだけでなく,病院長の努力による増収への取り組み,さらに増収分から人事費への投入がなされたことなど,「奮闘」についても触れられている.法人化当時,病院長への権限の「委譲」を迫られたのに対し,それを拒否して,病院経営の判る監事に分析を行わせ,経営方針を明確化してから権限の「委任」をおこなった(p233-237)という対応のくだりは見事である,
第8章では事務局について,特に文科から派遣されてくる「移動官職」と地元採用の事務員との立場や感覚の違いについてや,事務局長制度の廃止についてなど.
第9章では,東大を筆頭とする旧帝大と地方大の格差の拡大について多面的に述べられる.格差拡大はもちろん予算の配分によるところが大きい訳だが,

官僚による政策運営を政治主導型運営にするための手段として導入された経済財政諮問会議は,教育についても声高で一方的な議論を始めた.07年2月27日,民間議員の4名(伊藤隆俊,丹羽宇一郎御手洗冨士夫八代尚宏)は「成長力強化のための大学・大学院改革について」という3項目からなる提案をした.
1.イノベーションの拠点として―研究予算の選択と集中を―
2.オープンな教育システムの拠点として―大学・大学院のグローバル化プランの策定―
3.大学の努力と成果に応じた国立大学運営交付金の配分ルール
この提案の根底にある考えは,「競争原理」,「成果主義」,「効率主義」,「選択と集中」「グローバル化」などのキーワードで代表される,市場中心主義,競争原理主義を引き継ぐものであった.「社会的共通資産」である教育をすぐに役に立つ投資としてしか見ていないのではなかろうか.(p. 286-287)

のように,「素人」である企業人による,「運営交付金」への競争主義の導入の提案,さらにその底流にある,地方大学の軽視,蔑視について厳しく批判している.「選択と集中」のCOEについても開始当時よりさらに旧帝大への集中度の高まりを数字で示している.イノベーションに貢献するだけでなく「選択と集中」からは外れるであろう遠い将来に役に立つ,あるいは全く役に立たないように見える研究を行なうのも大学の役割であり(あたりまえだよね.教養に欠ける爺様には判らないかも知れないが),「選択と集中」の対立語は単なる研究費の「ばらまき」ではなく,「多様性」,「寛容性」,「持続性」であるとしている.「規制緩和」で導入された結果生じたいくつかの問題点にも言及している.
第10章で,学長の仕事の忙しさと,その中でも,結構遊んだ,楽しんだことが述べられ,エピローグで「学長の遺言状」(退職時の記念講演)が綴られている(えてして,こういうあざといタイトルのものは読むに堪えないことが多いが,これは至極真当で,かつ面白い).

「落下傘」降下で学長になられたので,おそらく当初相当な御苦労が有ったものと推測されるが,その辺の事柄については,恨み節にならずあくまでドライに述べられているのも特筆すべきかと思う.また,随所にユーモアあふれる記述もあり,感心させられた(国大協のロゴマークネタは秀逸.p.348).なんか,べた褒めな記述になってしまいましたが,大学関係者は必読と思いますよ,ほんまに.国立大学にいるわけでもない私らみたいなものにとってもね.

付箋を貼ったところからいくつか抜粋.
OECD高等教育調査団に対する対応(p.58-61)
通訳を使わないために,大学経営に関するボキャブラリの日英対応リストをエクセルでつくって,そのうえでパワポを準備したと(感心しました).そのうえで,

調査団の最大の関心事である「文科省からの自律性の獲得」に対する私の答えは,「制限された自律性(limited autonomy)」であった.その理由として,予算が少しでも絡む問題については,文科省の許可が必要なこと.大学側も文科省側もお互いの距離感をつかめないでいること.教育改革であるはずの法人化が,次第に財政改革の面を強くしていること.その背後には小泉内閣の財政改革路線があり,財務省は高等教育に理解を示さず(あるいは理解しないふりをして),高等教育予算を削減してくる.文科省は,ずいぶんがんばってくれているのだが,力が弱いことなどを指摘した.

などの質疑応答があり,全体として大変受けて高等教育会議に招待されたりした.
・大学評価について(p.84-85)

現在の大学評価はあまりにも項目が多く,微に入り細にわたり,その上システムが複雑で,評価を受ける側にとっても,評価する側にとっても,負担が大きすぎるのは確かである.評価のための評価になりかねない.おそらく,優秀だが真面目すぎる若い官僚が原案を作り,現場の負担など考えたこともない上司が了承したのだろう.
(中略)
すべての部局の大半の教員が評価資料の作成に忙殺されることになる.これに伴い,コピーもものすごい量になる.岐阜大では,中期目標から評価に至る一連の作業に使うコピー用紙は年間およそ18万枚,金額にして85万円に達する.法人化をもっとも歓迎しているのはコピー機メーカーに違いない

・選択定年制について(p141-142)

評価に基づいて,役員,部局長などが定年年齢を決める制度にしたかったが,一部の教員から根強い反対があり,法人化に間に合わせるためには,本人が選択する方法をとらざるを得なかった.実施してみると14.2%の人が60歳から63歳の間を定年として選んできた.正直のところ,63歳以下の定年を選んだ人には,辞めてほしくないような人が多く,少数だがどうしても辞めてほしいような人は65歳を申請してきた

(笑)
・教員養成について(p.196-198)

ところが,07年になって新たな問題が発生した.安倍晋三総理の思い入れで始まった教育再生会議が提案した教員免許更新制である.『ダメ教師がいるから排除を』という,最近の保護者の表層的言動をまともに受け,とはいいながら,問題教師を名指しして排除することもできないため,10年ごとの更新のための講習会というきわめて表層的な制度に置き換えてしまったのである.
10年ごとの講習会など当然と思うかも知れないが,実施するとなると大変である.年ごとの受講者は,都道府県の人口からゼロを3つとった数といわれている.
(中略)
そもそも「遠山プラン」によって統合の対象として名指しした上,運営交付金,外部資金でも最低レベルにおいたままの教育系大学に,さらに大きな負担を強いようとしているのだ.
(中略)
さらに理解に苦しむのは,大阪大を除く旧帝大系6大学に設置されている教育学部である.名前は教育学部であるが,もともと教員養成はしていない上,今回の免許更新制についても我関せずの態度で一貫している.

・全面禁煙について(p.204-208)

危険防止のためにも,分煙にすべきであるという意見があったが,分煙は喫煙を認めることになるので,ワーキング・グループでは全面禁煙を貫いた.私は,禁煙宣言は憲法第九条のようなものだと思っている.たとえ,かくれ軍隊である自衛隊(つまり,かくれ喫煙者)がいたとしても,憲法第九条(つまり,禁煙宣言)があるから,抑制がかかっているのだ.

ええ話や(笑).さらに禁煙にすると,学年進行に従って喫煙者が増す(煙草吸うやつは,呑み会とかで友人に奨めるからな)度合いが小さくなることが数字を挙げて説明されている.
・「遺言状」から(p.344-345)

周りには,意識的にあるいは無意識のうちに,学長のリーダシップを奪おうという人たちがたくさんいます.その意味で,リーダシップというものは与えられるものではなく,獲得するものだということを,この7年間で学びました.リーダシップを維持する上で大事なのは,判断するのは自分だという姿勢を貫くことだと思います.「よきに計らえ,そちに任す」などと,丸投げをしないことです.
(中略)
内部に問題を抱えている学部は,内部調整型の学部長を選ぶ傾向があります.その方が,学部の先生方にとって都合がよいからでしょう.しかしそのような学部こそ,リーダシップを発揮できる学部長を必要としているのです.南極越冬隊・村山雅美隊長の「気弱になった集団の多数意見は,往々にして誤る」という名言を思い出します.

プレジデントか何かに載りそう.
・さらに「遺言状」から(p.355-356)

我が国の高等教育への公財政支出は国民総生産(GDP)の0.5%にしかなりません.これはOECD平均(GDP比1.1%)の半分以下,OECD参加国中,一番ビリという恥ずかしくなるような数字です.財務省はこのデータに対して,少子化を考えに入れれば,我が国は低くないと言い張っているようですが,事実は違うと思います.OECDによると,我が国の高等教育に対する私的負担は,OECD参加国中3位(1位アメリカ,2位韓国)です.その額はGDP比で0.9%,公財政支出の1.8倍にも達します.公的負担と私的負担を合わせると,GDP比1.4%となり,ほぼOECD平均(1.5%)に匹敵します.

お見事.
これら数件の抜粋を見ても,広範な問題について,具体的に面白く論じられてるのが判ると思います.