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丸1カ月経ってしまいました

プレートテクトニクスの拒絶と受容―戦後日本の地球科学史

プレートテクトニクスの拒絶と受容―戦後日本の地球科学史

連合大会において東京大学出版会のブースで「先行発売」と称して山積みになっていました.結構みんな(ちょっと大げさ.知っている限りで少なくとも数人)買っていました.「○○さんは買ってすぐ耽読していた」などと言っている人もいました.まあとりあえず日本地質業界にとって話題の書であることは間違いありません.

「あとがき」が面白い.

批判的なコメントは,2つに分けられます.1つは「日本の地球科学を遅らせた地団研に対する厳しさが足りない」と言う批判です.これは地団研に「被害感情」を抱いている人々からです.もう1つは「昔のことをあげつらって何になるのか」という感想です.これは主に地団研の活動とともに生きていた人々からです.(245ページ)

我々は直接的に「被害感情」を持つような年代ではない(それでも卒論〜修論あたりではプレート論拒絶者の書いた訳の判らん論文に悩まされて今から思えば,純粋に時間の無駄であったし,我々とほとんど年代の変わらない人で「被害感情」を持つ人を,挙げろ,といわれると挙げることができる.書きませんけれど).しかしながら,感想は前者ですね.

たとえば,結論として,あるいは総括的に何度も述べられている「地域主義・地史中心主義的」性格がプレート説の拒絶につながったと言うことには,「地域主義的」研究しかできない,糞ローカルアホ地球科学者の私から見ても,全く納得がいかない.本書の筆致は極めて紳士的で特定の人を直接非難するような書き方を,避けているように見える.しかしながら,本書で多数の文献を追って綿密に述べられている,様々な経緯に関する記述から.プレート説の拒絶が何に依ったかは明らかである.日本独特の「地向斜造山論」を作り上げたように,明らかにただローカル地質の記載だけでなく,メタレベルの仮説の形成を目指していた訳だから,「地域主義」がプレート論の拒絶の主因ではあり得ない.

上田誠也は「正直のところ[地団研の先端的研究者の所説は]大抵はなにをいっているのかわからなかった.そういうときは謙虚にどうも私にその『哲学』がわからないのだろうと思ったこともある(しかし後年になると,地団研のかたがたのやっていることは一種の知的活動ではあるらしいが,どうもサイエンスとは異質の作業であるらしいと思うようになった)」と回顧している.(186ページ)

というあたりが,実態であろう.これについても筆者は,

上田にこのように書かせたのは,両者の間では議論の組み立て方や何を重要な問題と見なすかなどについて,あまりにも大きな違い(通訳不可能性)がありすぎたからだと考えられる

とまとめているが(そしてそこいらが「手ぬるい」と批判されるのでしょう)でも,そのようにまとめつつも,そもそも,この身も蓋もない辛辣な発言をわざわざ取り上げている訳ですからねえ.


「昔のことをあげつらって何になるのか」というが,本当は,井尻正二ら主な人々が亡くなる前に話を聞いて総括しておかねばならなかったことでしょう.

なお,私らより若い人にとっては地団研がどうしたこうした,というぐだぐだした話は,余りピンと来ないだろうし,知ってないといけない事とも思わないが,5〜7章あたり,特に付加体概念の成立あたりは読んでおいても損はないと思う,また,日本の地質の小史(明治維新後どうなって,こうなって)も勉強になるし,やっぱり良い本ですよ.歴史はホンマに重要.日本で人気のない地学について,こんなに立派な歴史研究をされた筆者に拍手を!

その他本質的でないメモ
・お雇い外国人(1862年)として出てくる(58ページ)Raphael Pumpellyはpumpellyiteの名前の由来の御仁である.
・山下昇が定年退官の時にプレートテクトニクスによる造山論に「転向」したことが言及されていて,「定年退職のとき転向声明を出したら,昔の教え子たちにうんと恨まれたが,これは仕方がない」と述べていることが引用されている(227ページ).全体的な文脈が判らないので何とも言えませんが,親分は「仕方ない」でいいんでしょうがね.でもねえ.
・プレート論拒絶者が斉一説を真っ向から否定するような事をいいまくっているのにはびっくり.私の学位の主査であった名誉教授の言として引かれている(145ページ),熱力学云々の話は以前にも耳にした記憶もあるが,それにしてもねえ.
竹内均上田誠也の一般向け書籍や,小松左京の「日本沈没」やらで一般大衆にすら70年代前半にプレート論が知れたのに,それをあれやこれや団子理屈をこねて検討しなかった,という態度は(もちろん現在から振り返っての後付けの見方じゃと批判されそうだが)どう考えてもあまりに異常.上にも書いたが同時代の人に直接インタビューする研究が必要だと思う.それは本書の研究目的よりは,より広い日本の地質学(業界)史研究,ということになるでしょうが.