飲酒と執筆

あまりに執筆捗らないのでメモを残してみる

なかなか纏めにくいですが

「地質学の巨人」都城秋穂の生涯〈第1巻〉都城の歩んだ道:自伝

「地質学の巨人」都城秋穂の生涯〈第1巻〉都城の歩んだ道:自伝

分厚さに恐れをなしていましたが,読み出したら一気に読み終えました.面白かったですよ.
遺稿をまとめられたとの事で,文体の不統一のみならず,後半は同じ内容の繰り返しが多いが,止むを得ない事でしょう.
幼年期から高校までの記述が興味深い.田舎での抑圧された生活,父との折り合いの悪さなど,ここまで書きますかという感じ.

父は私にかぎらず,近所のひとや,親戚のひとを罵ることもあったが,その言葉の鋭さや,罵りの表現の多様さは,彼が若い時に文学をやろうかと思った時期があったことの名残のようであった.私は,父の鋭い罵り言葉を毎日聞かされながら育ったので,それを浴びせかけられて嫌な思いをしていながらも,いつとなく,それに少しずつ慣れた.そこで,後年人を批評したりする時に私自身も鋭い言葉を使って,人をびっくりさせることがあった.

私にバカ士,もとい博士を出して下さった,故B先生が,何処かに(見つからない),ゼミ等での罵倒用語は都城先生の受け売りで,でも語彙の豊富さは及びもつかない,と言ったことを書かれていたように記憶するが,その源流がここにありましたか,とくだらないところで感心しました.
ともあれ,生い立ちの部分も,成城高校入学後の濫読,マルクス主義への傾倒なども、個人的な事柄を世の中の流れに埋め込んで述べられているところが,さすがと言わざるを得ず,また,読み出すと本を置けないところでもあります.
大学時代以降の部分は重複も多いが,厳しい筆致で当時の状況,周囲の人々への批判(もちろん良いところは良いと書かれているんだけれど)がなされており,思わずわくわくしてしまいます.
たとえば,小林貞一の日本構造発達史なんてのは、地質学をやっているとちょっとは聞いたことがあるわけですが,その中に含まれる,当時の固定観念と異なる見解を卓見と評価しつつも,その構造論はアメリカ留学時にマーシャル・ケイの独逸流地向斜説に基づくアメリカ大陸の構造発達史を学んだことに触発されたものであり,「日本に帰ってきてから後は考え方の上の進歩がなくなり」,プレート説も死ぬまで認めなかったと.本家のマーシャル・ケイはプレート説が出てきたら,それを取り入れ地史を考え直したのとは対照的で,「これが、三流の学者と一流の学者の違いなのでしょう」.いやー,バッサリですねえ.そのほかにも強烈なのがいっぱいあります.
 坪井誠太郎の人となりの論評も強烈ですが(良いこと3分,悪いこと7分くらいか),印象に残ったのは,教室で買った文献やら,タイプライターやらを,こういうのは教授のために買うんや,と主張して,自分の部屋にがめてしまって,他の人に使わせなかったと.で、後年の坪井誠太郎は全然勉強してなかったので,ただ,がめていて意地悪して他人に使わせなかっただけ,と言うあたりかな.いましたねえ、そんな人.(以下いささか不穏当なので省略)そんなに昔の話じゃないよ.ちなみに坪井誠太郎の良いところとしては,若者が自分の判らないような新しいことに取り組もうとすることを嫌わなかったことが,述べられています.逆にそういうことを嫌い,足を引っ張った人たちの悪口はごまんと出てきます.
 論文を系統的に獰猛に読んで読書ノートを作って云々,は参考になります,なんて書けません.凡人には真似できんでしょう.
 小島丈児伝?の部分は前章までの繰り返しの当時の東大岩石学の様子に引き続き,幾人かの先人の仕事に対する評伝があり,小島丈児自身に関する記載は少なく未完のようである.広島大学で構造地質学の強力な学派を形成した,ということを高く評価する記述になっている.私らが学生時代に微妙に関係があった広島学派?に対する上記B師の態度には正直に言って違和感があったのだが,この辺の大先生の評価をひょっとして引きずっていたのか?と言うのは邪推というものでしょうか.
 第7章「私の道」は岩石学やってる人間は見ておくべきものでしょう.第8章はご本人が書いたものでないのでパス.図を含めて正直やっつけ感は否めない.
 初めの「総解説」をみて何じゃこれ、と思って買うのを止めようかと一瞬思いましたが,買って読んで良かった.編集している人の思い入れ,のようなものが現れているなかに違和感を覚える箇所は少なくないが,埋もれてしまいかねない原稿を公にされた功績を讃えるべきなのでしょう.